samedi 14 novembre 2015

13日の金曜日のこと Fluctuat nec mergitur.

前日の13日の金曜日、
仕事で20時まで残るはずだったのが、あまり仕事がないということで、みんな14時半に帰ろうってことになって、自分はその日に終わらせないといけないモデルがあったから一人残って16時半くらいに会社を出た。
BLESSのプライベートセールが今週末にあるってメール来てて、明日の土曜日の仕事帰りに行こうと思ってたから、小切手持ってこなかった。
でも思ったより早く会社を出ることができたから、お金を銀行で降ろしてから、久しぶりにBLESSのブティックへ行くことにした。久しぶりすぎてわくわく。欲しのがいっぱいあったけど、予算があったから迷った中でシャツワンピースと手袋を買ってしまう。お金を使ってしまったぁという 罪悪感(最近39歳の知り合いがアパートを買ったという話を聞いて、39歳までにアパートを買うぞという目標を立てたばかりだった)もごろごろさせながらも、何度も袋の中を覗いて乗り換えのサンラザール駅ホームで一人にやにやしてたり。
自宅に帰って、一人ファッションショーをし、やっぱりいい買い物をしたと言い聞かせ、ふわーっと嬉しい気持ちにいっぱいになりながら23時にはロフトのベッドに行って、いつの間にか寝てた。

次の日の14日の朝、たぶん6時くらい、携帯を見ると、なんだかメールとかFacebookのメッセージとか、バイバーの電話とか、FaceTimeとか、画面いっぱいにお知らせが来てて、なんだこれと薄眼で見てたら、”パリ” ”テロ”という言葉でいっぱいで驚いて、布団の中でうずくまってた。でも今日仕事だしって、思ってシャワー浴びないといけないから、7時くらいには頑張って起きて、シャワー浴びて、歯磨いたり、バナナ食べたり、出る準備しながら、うちのおにいさんやお母さんと電話で話してると、前回のときと比べられないくらいに尋常じゃないくらいの規模のテロがパリの各地で起きていたことを知る。
パソコンで調べると、120人以上が亡くなり、200人以上が怪我をしている、大統領もいたサッカースタジアムで爆発、劇場で無差別乱射、レストラン、カフェ、道端、普通の週末が血の海に染まる悪夢に変わってた。その中の一つのレストランは、7月に辞めたばかりの前の職場のすぐ裏に位置していて、お昼に行ったこともあるとこだったから、他人事ではない。
Facebookでシャドーのグループでメッセしてると、会社は行かない方がいいぞという話になり、同僚の人に電話してみるも、上司から何も連絡ないし、私は行くよという返事。
うーんどうしようと迷ってるなか、上司から電話。
アトリエは開けるけど、来るか来ないかは自分で決めていいよ、ということだった。
もう一回同僚に連絡してみるも、もう家出ちゃった、会社向かってるって。

フランス人は、なぜか誰も怖がらない。あまり自分には関係ないというような感じで毅然としてる。だから、どっちでもいいと言われてたら、みんな行くんだろうな。自分だけ行かないってのもやだなぁとか思って、どうしようどうしようと迷ってうじうじしてると、上司からSMSがきて、結局会社は閉めるということになって土曜日の仕事は休みになった。母親もすごく心配してるし、日本の友人たちは家でおとなしくしてたほうがいいっていうから、そうだよなと思って、週末は家にこもろうと決めた。

家の中にいても、外で大きな音がすると、銃声なんじゃないかって、心臓がばくばくなったことが何回かあった。窓の近くにいないようにした。誰か素敵な異性にドキドキすることなんて経験ないのに、こんなに心臓が飛び出そうという言葉を体現するような激しい鼓動が鳴ってる。瞳孔が開いて目が乾いて血の気がさーっとひいて、全身で怖いって感じてるんだなって分かって、急いで外に出られるようにジーパン履いて、さっと動けるような格好に着替えた。

とても不謹慎なことかもしれないけど、いつもこう思う。
日本の地震をはじめとした自然災害に遭うのと、パリでテロに巻き込まれるの、それってどっちも運だし、確率では同じくらいなんじゃないかって。
もちろん、自然災害か、人が起こすものの違いもあるけど、結局死んでしまうことには変わりはない。もちろん、大雨や大雪の日に出かけないようにするように、真夜中に出歩かないとか、知らない土地にふらふら行かないとかっていう自らを危険にさらすようなことを回避することはできる。でも、地震を予知できないように、地下鉄でテロに遭ってしまうってことはもうどうしようもないことだし、気をつけようもないから。そういう街に住んでいるんだという覚悟を持たないと。

自分でパリにいるって決めて、仕事して稼いで、税金を納めて、住んでいる。だから、フランスの国がしていることに自分も少なからず加担してるわけで、責任はいくらかある。税金がシリアの空爆に使われてるということは、自分の納めたお金のいくらかが、使われてるってこと。あんなに税金納めてるのに、選挙権がないっていうのは理不尽なことなような気もするけどね。むしろ、選挙権はあるけど、1円も税金納めてない日本に対して、政治に文句の一つも言える立場ではないなと自覚してる。だから、外国に住みながら日本の政治に対して、あーだこーだ言ってる人っているけど、それってどうなのと白い目でみてたりもする。
テロの怖さに怯えながらもパリで暮らして今の仕事にしがみついているのか、その肩書きを捨てて、日本に帰るのか(地震の怖さには震えながら)。お父さんが全然心配してないといってたけど、それは自分が決めたことだから、全部自分に責任があるってことだと理解した。

自然災害の話に戻る。
日本の山の緑が大好きだし、それを眼前にいっぱいに広がって圧倒的なほどぶつかってくるものを感じると、もうそれは人に手に負えないものだって十分理解できるし、畏敬という言葉がぴったりくる。だから、自然に対して日本人は崇めたり、祀ったりして、共存しようと努めてきて、災害が起こっても怒りをぶつけることもない。その怒りではない、悔しい気持ちを次の行動に転化してきたんだと思う。
それをもしかしたら、このテロ事件にも無理やりにも当てはめてみることもできるんじゃないかと思うんだけど。どうだろ。実行犯に対して、これまでフランスがやってきたことに対する自然現象だと、怒りをぶつけて報復するんじゃないくて一度受け止めてみたら。言葉のコミュニケーションのとれない、大きな濁流なんだと。

でも大丈夫。知ってる?
パリは、『Fluctuat nec mergitur.』
”波に揺られても沈まず”。








samedi 7 novembre 2015

Solo Olos / Trisha Brown











jeudi 9 avril 2015

What the Body Does Not Remember / Wim Vandekeybus @104

3年前に初めて観て衝撃を受けてから、毎年必ず観に行ってる、Wim Vandekeybus。
いつもは、パリ市立劇場だったけど、今回は、104っていうパリの端っこにある、イベントホール。もともと、葬儀場だったとこらしいです。
駅からもけっこう歩くし、夜の帰りは絶対怖いだろうなって思ったけど、しょうがない。行くしかない。

着いたところは、劇場っていうほどのものではなく、仮設に席が組み立てられただけのところ。シート番号もなく、早いもの勝ち。30分前には行ったつもりだけど、すでにたくさんの人が並んでました。

「What the Body Does Not Remember」っていう作品は、Wim Vandekeybusが1987年に創った作品で、この年にニューヨークのベッシーアワードを受賞してます。振り付けの彼だけじゃなくて、音楽を担当した、Thierry de Mey とPeter Vermeerschも一緒に。正直いうと、これまで観た中で、今回のが一番面白かった。一番古いのに。新しいメンバーだとは言ってもさすが完成度が高いし、彼特有のスピード感と臨場感、先の見えなく驚きいっぱいのハラハラさせられっぱなし。文句なしにすばらしかったです。怖い思いしてまで来た甲斐が120パーセントありました。

Thierry de Meyといえば、ローザスの音楽や映像を初期の頃からずいぶんたくさん手がけてる人じゃない!?
調べてみると、最近のローザス作品の生演奏をしている、Ictusというコンテンポラリー音楽集団は、もとをたどれば、Thierry de Mey とPeter Vermeerschが80年代に結成した、Maximalist!が前身。全部が繋がって、すごく納得!!ローザス好きから、ここまで来たか、と音楽もあなどれなくなってきた。


音楽から、ダンスカンパニーが繋がっている見方を得られたのが大きな収穫でした。







今回は生演奏じゃなかったのは残念だけど、この写真で演奏してるのが、Ictus





たまにユーモラスなところもあるのが秀逸です。笑い、は大切。面白くないつまらないものは笑えない。