mardi 10 septembre 2013

Gerro,Minos&Him / Sinon Tanguy, Roger Sala Reyner, Aloun Marchal @ Théâtre des Abbesses

やっと、今シーズンもはじまりはじまり!!
待ちに待った最初は、何でこのチケットを取ったのかすっかり忘れてしまったくらいに、全く知らない人たちだった。

リーフレットによると、Théâtre de la villeMusée de la danse が主催する、若いダンサーたちのコンクール、 Danse élargeは、2010年に第1回目が、そして2012年には2回目が開催された。今日観たのは、その第1回目の準グランプリに選ばれた作品。

三人の若い男性ダンサーが、それぞれ、タンクトップ、カットソー、シャツ一枚だけ着て、下はすっぽんぽんで、泥だらけの格好で、音もない、舞台美術も何にもないところによろよろと登場。なんか汚いものを見せられるのかぁなんて、ちょっとげんなりしたのは最初だけ。その不快さはしだいに、可笑しさに変わっていった。

はじめ、三人はいきなり連れてこられてどこだか把握してないような感じで、三人くっついてもじもじ。うーん、どうしよっか、から始まって、少しずつ手の届く範囲の空間をさぐりながら活動領域を広げてって、それが大丈夫だと分かると、だんだん慣れてきたのか、気分も解放的になっていって、動きも大胆になり、もうやりたいほうだい。言葉にならないような声を発しながら、三人互いにと、空間と、そして観客ともコミュニケーションをとりながら、あまりある暇な時間を遊んでゲームしてるようにつぶしてる。




小さい子どもたちが、オナラとか、うんこが大好きで、ちょっとしたことでついつい笑っちゃう、っていう感覚。逆立ちして、丸見えになったとこで、一番大きく聞こえてきたのは、子どもの笑い声だった。そういった、モンティ•パイソンのコントような、前提知識のいるブラックジョーク的な捻りのある笑いではなくて、感覚的生理的な可笑しさ。
こんなに笑ったのって久しぶりだなぁって、思い出したのは、大駱駝艦の、初めて観た公演。ふんどし姿の白塗りの男性たちが、踊りというよりは、むしろコントを繰り広げてて、笑いがとまらなかった。初めて観た舞踏で、そのときは、舞踏って、可笑しいものなんだって思ってしまってた。そういえば、そのとき、最後のフィナーレ直前には全員すっぽんぽんになってた気がする。見せたがりの人たちっているよね。
でも、とにかく、面白くて、上手かった。でも、笑いってすぐに冷めるから、途中、集中力が切れてしまったのは少し残念だった。



大駱駝艦でも全員男性の演目だったし、こういう身体をはった笑いを誘うものって、男性にしかできない、特権だと思う。モンティ・パイソンだってそう。女性も登場するけど、彼女たちはやっぱりお飾りな程度で、メインになることはなかった。そこには、仲のいい男の子グループ同士だけで通じるような見えないメッセージ、彼らを覆ってる、僕らが楽しいからいいんだっていう、女の人が入り込めない受けけつけないための靄があって、うらやましいなって、男の子になるのを憧れてた小学生の頃をちょっと思い出した。

今のダンスの多くは、男女を入れ替えても、例えば女装したり男装したりしても、あまり大きくは変わらないと思うけど、こういうのは、ぜったいに女性はできない。笑いには、男女、中性もふくめ、棲み分けされてるところがあるような気がする。